奥出雲町 ゆかりの文化人をご紹介します

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松本 清張 (小説家)
 

 出雲三成の駅におりた。ここは仁多郡仁多町(現奥出雲町)で、亀嵩はこの三成警察署の管内になっていて、そこには派出所があるだけだった。だが仁多の町はこの地方の中心らしく商店街も並んでいた。(中略)出雲三成の駅から4キロも行くと、亀嵩の駅になる。道はここで二またになり線路沿いについている道は横田というところに出るのだと、運転の署員は話した。ジープは川に沿って山峡に入っていく。

 この川は途中で二つに分かれて、今度は亀嵩川という名になるのだった。亀嵩の駅から亀嵩はまだ4キロぐらいはあった。亀嵩にはいると思ったより大きな町並みになっていた。ここは算盤の名産地だと署長が説明したが、事実、町を通っていると、その算盤の部品を家内工業で造っている家が多かった・・・。                                                                                                        (小説 砂の器より)

  これは昭和35年に「読売新聞」に掲載された推理小説「砂の器」の1文で、仁多町を全国に紹介した。小説舞台の地亀嵩では、観光文化協会によって湯野神社前の記念碑を建立したが、これに関連して清張は二度来町した

 昭和58年3月、神原古墳、湯原神社を経て亀嵩を訪れ1碑文を墨書している。また同年10月23日、砂の器記念碑除幕式には再び訪れて式に参列、そのあと町民体育館で「小説と取材」と題する講演を行い、町民に文化的な深い示唆を与えた。

 

田能村直入(絵画)

 直入は文化11年(1814)豊後国(大分県)直入郡竹田寺町の生まれ、8歳のとき田能村竹田の門に入り、その画技と人物を見込まれて養子となる。漢詩もよくし、能書家でもあったといわれる。明治40年(1907)1月、93歳で没するまで、各地を遍歴したと伝えられる。出雲の名勝・旧跡を見聞して、雄渾な山水画や洒脱とも言える花鳥草木画など多くの作品を残している。

 

与謝野鉄幹・晶子(歌人)


  与謝野夫妻は、昭和5年(1930)5月26日、山陰吟行の途次、弟子の三島祥道夫妻の案内で、絲原家を訪ねた。絲原家では、夫妻を近くの景勝地鬼の舌震に案内し、また、本邸では特産の八川そばでもてなした。夫妻は、これらの印象を直ちに短歌に詠み、邸内の一棟を「石泉荘」と名づけるなど、和やかな一日を過ごした。

<鬼の舌震を詠んだ歌>

 渓けはし鬼舌ふるひ去りたれば 河鹿いざなふ月射せよとも

 おのずから山のあるじの心なり 岩清くして澄める水音   晶子

 

 渓の岩百畳をさへ敷きつべし 鬼の童子の現はれて舞へ

 亭のまへ岩を重ねていかつちを 伏せたる如き渓の音かな  鉄幹



 

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